東中神にあるロータリーを中心に道路が放射状に伸びた地帯は八清と呼ばれています。ここは航空機を製造する陸軍航空工廠の従業員用住宅として開発された住宅地です。
八清とは
東中神駅の南口から少し歩いた先の住宅地に、突如円形のロータリーが現れます。このロータリーを中心として周囲に道路が放射状に伸びていて、この一帯は「八清」と呼ばれています。
かつて昭島市と立川市に跨って立川飛行場がありました。もともと立川飛行場は軍民共用の飛行場で、立川-大阪間の定期航空路が運行していたこともあります。日中戦争から太平洋戦争へと軍国主義の道を歩むころには、大日本帝国陸軍専用の飛行場となりました。
昭和13年に立川飛行場に隣接して、航空機を製造する名古屋造兵廠立川製作所(後の陸軍航空工廠)が設立されました。軍需産業が飛躍的に発展を遂げるなか、名古屋造兵廠立川製作所も拡張され、昭和14年には従業員2万人を超える大軍需工場へと急成長しました。
増え続ける従業員のために住宅建設の必要にせまられ、当時は一面の桑畑であった福島827番地付近3万坪の土地が買収されました。工事は陸軍の協力のもと、八日市屋清太郎氏によって進められました。
昭和16年10月までに約500戸の住宅と集会所、市場、映画館、浴場、保育園、神社、公園などの福利施設が作られ、ロータリーを中心として放射線状に区画された大規模な住宅街が誕生しました。これが八清住宅の起源です。「八清」という名称は、工事をした八日市屋清太郎の名に由来するものです。
戦後これらの住宅は住民に払い下げられ、市場を中心に商店街としての新たな街づくりが進められ、住宅商店街八清が生まれました。現在もレトロな街並みを残しています。
地図・交通アクセス
八清ロータリーへは、最寄駅の東中神駅南口から徒歩6分(500m)かかります。
昭島市のコミュニティバス「Aバス」を利用する場合は、東ルートのバス停「八清」が近いです。
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